山羊の階

は、劇作家久野那美を中心に2000年に集まり公演終了と同時に解散した演劇ユニットです。
このサイトは山羊の階発足から終了までの活動と公演の記録です

空はいつも遠くにあって。遠く町を眺めていた
話すことがないので、 時々風を吹かせたりした
話すことがないので、 雲をぐんぐん動かしてみたり
話すことがないので、時間を端から染めてみたり
話すことがないので、雨を落としてみたりした
話すことがないので、どこまでもどこまでも広がっていた
話すことがないので、話すことが何もないので、いつも黙っていた
町ではいつも。 だれかが空を見上げていた。


山羊の階について



山羊の階について

作・演出:久野那美
高校演劇・学生劇団(関西大学学園座)出身。
劇団への所属経験はなく、公演毎にメンバーを募り、ユニットを作り直す形式で公演を行っている。
感傷を排した詩的な言語感覚が評価されている 物語は出来事の経過を追わず、ある瞬間だけを精密に記録しようとする。 人間関係より「風景」を描くことを意識し、「写真のような舞台」を目指している。 舞台以外では99年4月より、腹筋善之助氏と平野舞氏出演のラジオドラマ「story for two」(ラヴィーナ提供)の台本を深津篤史氏・樋口美友喜氏・サカイヒロト氏と交代でレギュラー執筆中。
89年 「たとえば零れたミルクのように」 (第4回テアトロ・イン・キャビン戯曲賞佳作受賞)
97年 「パノラマビールの夜」(箱の階・第5回OMS戯曲賞佳作受賞)
98年 「海に送った灯」(船の階vol.1)於都住創センター


出演(本を読む女):片桐慎和子

高校演劇・大阪芸術大学舞台芸術学科・ププラモーチカを経てフリー。
本人コメント「私は常々、いろいろなものに似ていると人に言われます。 らっきょう、カマキリ、宇宙人…。別に私が何に似ていようが、それはいいんです。 大切なのは他の人と共存すること。 それが私のテーマです。 作・演出の久野さんは、人がしがみついて離れられないものをボンボン捨てる人です。 見ている私は呆気にとられ、恐怖さえ感じるのですが、最後にはなんだか可笑しくなります。切なくて愛おしい。この芝居はそういう芝居になるでしょう。」
出演(建物を訪ねる男):カネダ淳
高校演劇・遊劇体を経てフリー。
本人コメント「久野さんにはいつも圧倒されてしまう。 自分の望むもの全てを取り込もうとする貪欲さ、 しかもそれは欲深いなんて、そんな類のものではない 死んじゃうのだ。そうしないと。 右脳に底なしの胃袋が付いてるようなものか。 あふれる胃液にシナプスは危険信号を出しっぱなしである。 そして僕らは今、その粘液で全身丸裸にされ、 しびれるような痛みとあられもない快楽を感じながら、 ゆっくりと分解されつつある。 融解しきったとき、どんな舞台ができあがるのか。 今はまだ見当も付かない。 ただ、ただ者ではないモノが生まれる −台本読みが終わった直後、 「・・・いい話よねぇ」と邪のかけらもなく言ってのけた彼女を見て、 僕はただただそう思ったのであります。」

出演(エプロンの女):大西智子

プロデュースFを経てフリー。
本人コメント「朝、目覚めると今日も隣のおばちゃんの声が聞こえる。 誰としゃべってるのか、とにかく大きな声だ。早朝のさわやかな空気を無視したテンションの高さとダミ声だ。はじめは夫婦ゲンカかと思ったが、内容的には世間話のようだ。しかし、どう耳を澄ましても相手の声が聞こえない。おばちゃんはいったい誰にしゃべっているのか。やや不安になりつつ私の目は覚めてくる。おばちゃんの離れて住む息子や嫁の話をフル音量でとりとめもなく聞いていると1、2軒向こうの家から「おばあちゃん、オムツとったらあかんでしょ−。」という黒板をひっかくような声が響いてくる。私はもそもそとベッドから這いだして顔を洗う。「おはようございます。どうぞ宜しく。」新しく人と何か始めるというのは実はとても苦手なんだけれど、30歳できりも良いし、がんばるぞ。おもしろそうな人ばかりだし。 おばちゃんみたいに誰としゃべてるのかわからんという様なことの無いようきをつけよ。うん。 」

舞台監督・照明:葛西健一

劇団クセノス主催。
「船の階」でも照明を担当。「写真のような・風景のような舞台を作りたい」「灯りは出演者のひとり」という方針に賛同して参加。

舞台美術:姉川あらた

おもちゃプロジェクト主催。
「船の階」でも美術を担当。むきだしの扇風機を使った「風のある舞台」は「簡素だが斬新なアイデア」と好評。山羊の階では「建物の裏側。街の一角」を創る。

宣伝美術:宝塚すみれ

阪急沿線お嬢's所属。
ありそうでないものを創る達人。「船の階」では音楽監督と宣伝美術を担当し、出演した。

制作:中村一規

近畿大学文芸学部芸術芸能専攻在籍。
久野の作品を大学の授業で知り、縁あって参加。

スチール撮影(ヘルプスタッフ):北村泰一

京都の学生劇団の写真を撮り続けているフリーのカメラマン。

当日受付:一文字マリー(ヘルプスタッフ)

ストリップキング座付き作家兼女優。






稽古場日誌




vol.0 山羊の階(久野那美)  2000/10/10 (火) 02:32
 
顔合わせ。豪雨と雷と暴風の中。稽古場はほとんど避難所のような様相。情宣写真を撮って下さる北村泰一氏を迎え、初読み合わせ。役者は3人。今回の課題は「ことば」。
「通り過ぎていくことば」をたくさんたくさん舞台の上に置きたいと思っているのですが、舞台の上というところは「会話でないことば」が散在しててもいいところなのかどうか…。いいところなのかどうかわからないけど、そういう話なんだから仕方がない。
そういう「ことば」が綺麗に見えるお芝居にしたい。できたら素敵だな。できるかもしれない。うん。できる。と思った一日でした。役者さんは3人とも困惑状態(?)。困難の多いスタートはさい先がいいぞ。と思っています。
帰り道。雨はすっかりあがり、空には星が出ていました。さて。どんな2ヶ月になるのかな。ご期待下さい。
 
 vol.1稽古場日記 中村(山羊の階、制作)  2000/10/14 (土) 00:26
 
本日は稽古初日でした。
何だかおろおろしていたら終わってしまいました。
稽古場日誌は役者、スタッフで入れ替わり立ち替わり書いていきます。 目標は穴の空かないようにすること。
このホームページを見て下さった皆様ありがとうございます。
お誘い合わせの上、ご来場下さい。
 
ご意見、ご質問や、こんなことを書いてほしいというのがありましたら
どうぞ。  
 
vol.2(稽古場日誌) 中村・制作  2000/10/15 (日) 02:50
 
写真を撮りました。
空と建物の写っているすてきな写真です。
近々見られるようになると思います。ご期待下さい。
 
今日は宣伝美術の宝塚すみれさんが来てくれました。
チラシもチケットもいい感じになりそうです。
これまたご期待下さい。
 
一人一人が自分の仕事をして、それが集まって何かになるというのは、何だか不思議な感じです。
来週からはこのにゲストが来てくれる予定です。
ご期待下さい。
 
たくさんのご期待とともに今日はおしまい。
 
vol.3 中村・制作  2000/10/15 (日) 19:59
 
今日は稽古はお休みです。
家で雑務をしたり、台本を読んだりしていました。
 
大人になるにつれて「さようなら」と人に言う回数が減ってきました。
「お疲れさまでした」とか「失礼しました」とかで片づけてしまいます
 
台本の中にはいろいろな「さようなら」が出てきます。
台本の中で「さようなら」は「またね」であり「初めまして」であり、
「ありがとう」であり「おしまい」でした。
いろいろな区切りできちんとと「さようなら」が言えるのは大切なことなのです。
そんな「さようなら」のお話なのかなと思いました。
 
明日からはまた練習。
一期一会で作っていきます。
 
vol.4の説明 中村・制作  2000/10/17 (火) 01:16
 
本日の稽古場日誌は、大西さんに書いてもらいました。
大西さんは今回「エプロンの女」役をしています。
毎日、姫路から大阪、吹田の稽古場まで通っているのです。
たいへんです。
 
これからもちょくちょく役者さんやスタッフさんに登場してもらうつもりです。
それでは。
 
vol,4 大西智子  2000/10/17 (火) 02:20
 
えー 初めまして大西智子です。
稽古は始まったばかり。さあどおなる山羊の階?「めえー」
山羊ってハイジの飼ってるユキちゃんを想像してると、実物に会ったとき結構ハードですね。かなり強そうだし、奴らは。
 
てなこと書いてちゃだめか。
稽古場はいかなる模様かと言いますと、稽古の前半はエチュードをやってます。
「そんなのやったことないよー」と私はオロオロ、
でも久野さんは「毎回やるからねっ」とやる気まんまん。
おー やるしかないでしょー。
旅の恥は書き捨てっていうもんね。
毎日、姫路から旅してる大西でした。
 
 
vol.5 制作・中村一規  2000/10/18 (水) 01:25
 
昨日、今日と、かねださんが公演のためお休みです。
役者さんが3人なので、一人休むとものすごくさみしい感じです。
 
今日久野さんのソックスに穴が空いていました。
詳しく言うと、右の親指のところに爪が3分の2露出するくらいの穴が空いていました。
本人は別に恥ずかしい様子もないのですが。
(たぶん「機能的に問題ないからいいんです。」と言うでしょう)
私は気になりました。
ジーンズはいいのに何でソックスの穴はだめなんでしょう。
 
ちなみに役者さんたちも誰もつっこみませんでした。
みんないいひとです。
 
vol,6 制作・中村一規  2000/10/19 (木) 04:18
 
今日はひさしぶりに役者さんが3人そろいました。
でもかねださんは風邪気味です。
こじらせなければいいのですが。
 
練習の中で毎回即興的なエチュードをしています。
私と久野さんも時々いっしょにやります。
それぞれの人の個性がものすごく出るのでおもしろいです。
戯曲書くのも、演技も人間性をものすごく露呈する作業です。
だから表現するのはおもしろいのです。
 
この稽古場日誌も私の目を通した稽古場の様子を書いたもの。
そう思うとものすごく恥ずかしいです。
 
 
vol,7 制作・中村一規  2000/10/20 (金) 01:23
 
この稽古場日誌は、基本的に稽古が休みでも書くことになっています。
で、今日がその稽古が休みの日でして。
稽古が始まって約二週間がたちました。
稽古は、多少の混乱はあるものの順調です。
 
話は変わりますが、先日の稽古でこの日記にも何度か登場した靴下の話がでました。
久野さんの持っている靴下のなかに、15年間はき続けているものがあるそうです。
いったいどのような力が働けばそんなに長持ちするものなのでしょう。
 
その靴下はきっとたまたま遠出をするときにはかれることがなかったのでしょう。
釘に引っかかることなく、片一方がなくなることなく、(たぶん)ピクニックやスポーツにはいて行かれることなく、その二枚の布はただ久野さんの足を覆い続けてきたのです。
キャンプにはいて行かれて数日でその役目を終えるのと、部屋着として何年もはき続けられるのでは、靴下にとってどちらが幸せなのでしょう。
 
15年ものの靴下。
きっと人間になおしたら,100歳は軽く越えているでしょう。
久野さん、あなたの足と一緒に酸いも甘いもかみ分けたその老夫婦をいつまでも大切にしてあげてください。
 
 
vol,8の説明 制作・中村一規  2000/10/21 (土) 04:27
 
今日のは、本を読む女役の片桐慎和子さんです。
 
片桐さんは、お菓子でたとえると綿菓子のような人です。
ふわふわしてて、甘くって、真ん中にビシッと割り箸が通ってます。
 
31番の{靴下}の投稿者の宝塚すみれさんは、山羊の階の宣伝美術
を担当してくれています。
粋なチラシやチケットを作ってくれるいい姉さんです。
 
たくさんの人が掲示板に来てくれると、にぎやかでいいですね。
 
vol,8 片桐慎和子  2000/10/21 (土) 04:30
 
今日はエチュード(即興劇)をしました。
エチュードというと、口下手な私は苦手意識が強いのですが、
久野方式のエチュードは、言葉をほとんど使わなくて、何をしようかと考えてはいけないというところが、私は気に入ってます。
舞台に立って、相手が入ってくるまで何が起こるのか自分でも分かりません。
人がやっているのを見るのも、自分がやるのも、ドキドキします。
 
なんとも、官能的なのです。今日は特にそうでした。
稽古場の人間だけで楽しむのはもったいないと思うくらいです。
本当、おもしろいなぁ。
                       片桐慎和子
 
vol.9 制作・中村一規  2000/10/22 (日) 23:49
 
一日遅れになってしまいました。ごめんなさい。
役者さんは役作りの真っ最中です。みんな悩んでおります。
でも久野さんは「役を作っちゃだめ」と言います。
 
舞台に立つと、普段しないような表情をしたり、普段出さないような顔をしたりしてしまいます。でもそれはしないでほしいそうなのです。
せりふを覚えているのに、忘れた状態で舞台に上る。
何が起こるか知っているのに、初めてのリアクションができる。
そういうのがいいと言います。
 
「初めて」がたくさんの舞台を作りたいです。
 
 
 
vol,10 制作・中村一規  2000/10/23 (月) 00:42
 
お芝居の稽古が始まると、(休日)というものがなくなる気がします。
 
もちろん稽古が休みの日はあります。
でもその休みは、普段のお休みの(まっさらな一日)という感じとは違って、
明日のための、羽目を外しきれないお休みです。
ものすごく遊びたいんだけど、思いっきりしたい事するのは何か危険な気がする。
 
イメージとしては、
普段の休みは、朝起きたら目の前に天使がいて「今日は、何をしてもいいんだよ。
さあ好きなことして遊ぼうよ」と言って、一日中まわりを飛んでいる感じで、
稽古中の休みは、朝起きたら目の前に美人のお姉さんがいて「今日は、何をしてもいいのよ、さあ好きなことして遊びましょう」と言って、一日中見張られている感じです。
 
お芝居が始まると、どっぷりと首まで浸かった演劇中心の生活になります。
何をしてても、どっかで気になっている。
幸せなことです。
 
Re: vol.9 久野那美  2000/10/23 (月) 01:23
 
私は、「はじめて見るもの」って何よりも素敵だと思ってるし、「他の手段(言葉とか)で代わりが出来ないもの」だけが舞台にあるといいなあと思ってるので、
「台本がないほうが素敵なもの」ってあるような気がしてる。
だけどそれは「物語」じゃない。私達が創るのは物語。
だから矛盾する。でも矛盾させたくない。
 
「台本がないほうが素敵な舞台」にだけはしたくないよね。
だって、なんか空しいもの。
 
 
vol.10 ネダ淳  2000/10/23 (月) 15:18
 
作家、演出、役者、照明、美術、舞台監督、等
多くの才能が合わさってはじめて舞台ができるわけですが、
反対に舞台を成功させるのは一人の演出家にかかっているんでは
ないかと思います。
 
他劇団の打ち上げの席等でよく、スタッフ役者の愚痴を聞いたり
するのですがその衝突やフラストレーションは、演出家の少し
ばかりの行動で解消できたんじゃないかと、いつも思ってしまう
のです。
 
個人の価値観の相違で摩擦がうまれるのは当然なのですが、
そのときに集団の価値観がはっきりしていれば、そこに照らし
あわせてここは引く、押し通す等の判断ができる。演出家は
その指針を要所要所でうまいこと、確実に示し、浸透させて
いかなくてはならない。あ、逆に演出によせる信頼というのは
そんな些細かつ繊細なところから来ているのかもしれません。
 
なんだか硬い、これこそ愚痴じゃないかという話になって
しまいました。役者はもっとバカである方がいいと思います。良い意味で。
 
 
 
vol,11 大西智子  2000/10/24 (火) 02:36
 
雨がふるふる。大西です。
稽古が始まってはや、一週間強.セリフは入ったのだろうか。うーん。
 
稽古場の前の、たわわに実った柿がおいしそうです。秋です。
エプロンつけて、私がさまよい歩くのは第七感界か?どこにたどり着くのでしょう。
 
本日は、ほかの二人の役者さんの第一印象について。
 
えー片桐さんはですね、ミニブラックホールというか、この黒目の向こうは、
大宇宙じゃないかしら、という感じの吸引力がある方です。
スフィンクスになぞなぞ言われた人間の気持ちになりますね。
 
んーかねださんは近くで見ると「ほえー」と見とれるほどきれいなお顔です。
でもそれでつられてきたお魚を「ぱくっ ごくん」と食べちゃいそうな
危険な空気のあるイソギンチャクさんにも思えます。
 
勝手なこと書いちゃった.ごめんなさーい。
 
 
vol,12 制作・中村一規  2000/10/25 (水) 02:46
 
ついに宣伝用のチラシが完成しました。
明日からいろいろな劇団の公演に挟み込みに行きます。
もしどこかで見かけたときには、ごひいきにしてやってください。
 
昨日、大西さんも書いていましたが、稽古場の外に柿の木があります。
どうやら渋柿のようで、取って食べられるというわけではないのですが、
たくさん実っているのを見ると豊かな気分になります。
 
私は幼稚園の時「桃栗三年、柿八年」という言葉を知って、本当かどうか確かめたくて、柿が給食にでたときその種を家に持ってかえって庭に植えました。
本当に、きちんと八年目に実がなりました。
(接ぎ木というものをしなかったので、渋柿でしたが)
 
実は、柿の葉というのは、ものすごくきれいな紅葉をします。
一枚の葉っぱの中に、赤とオレンジと黄色が混ざってにじんだような模様を描きます。
それぞれの葉によってその混ざり方が違うのです。
どうやら、どの柿でもそうなるのではなく、渋柿の、しかも実のなる前の木だけが、
そんな美しい紅葉をするらしいのです。
うちの柿の木も実がなりだしてから年々色の鮮やかさが落ちました。
きっと、まだ実のならないときに、実に行くはずの栄養が全部葉っぱに行くから、
あそこまできれいな色を出すのでしょう。
 
とにかくきれいです。
あれを見るためだけに渋柿を育てる価値がある。と私は言い切れます。
 
実がなると消えていく美しさ。
美しいものは、寂しいものなのかもしれません。
 
 
vol,13 制作・中村一規  2000/10/26 (木) 01:44
 
稽古が始まってはや二週間。
毎日が飛ぶようにすぎていきます。
 
風邪をひきやすい季節になって役者さんの体調が心配です。
私は、これくらいの季節が好きなので結構気持ちいい毎日を送っています。
冬の朝早くに外にでると、ほっぺたが「ぴんっ」となるあの感じが好きです。
寒くなると、頭がクリアーになる気がして賢くなった気がします。
 
とにかくあと一月半。
体と、心の健康に気をつけて、すてきな舞台を作ります。
 
vol,14 制作・中村一規  2000/10/27 (金) 03:23
 
今、山羊の階が使っている稽古場はとても静かなところにあります。
大通りからは離れているし、まわりは静かな民家ばかりです。
広い敷地に建っている建物で夜になると虫の声が聞こえます。
 
ものを書いたり、本を読んだりするときは、少しくらい雑音のある方が集中できる
という人もいますが、こと、稽古については、静かであるのに越したことはないでしょう
私は、とにかく集中力がないです。
特に、何かを考えてものを書くというときには、
雑音はおろか、人が近くにいるだけでもだめです。
というわけで、この文章は毎晩私の部屋で一人寂しく書かれています。
秋の夜長の稽古場日誌。
なんか風流です。
 
 
vol,15 片桐慎和子  2000/10/28 (土) 02:40
 
今日バイトが終わって、稽古が始まるまで、かなりの余裕があったので、
駅前の広場でクレープとたまごパンを食べていたら、大量のハトがよってきた。
 
でも私が何もくれないと分かると、ハトたちは、ちらりちらりと私を見ながら、
てんでんバラバラに散っていった。
 
そのあいそのなさが、いい感じだと思いながら見ていると、
大きな荷物を抱えたおばあちゃんがやってきた。
ハトたちは、みるみるうちにおばあちゃんの前に大集合した。
おばあちゃんは、おもむろに、荷物の中からパンくずを取り出してバラまいた。
エサはあっという間になくなって、ハト達はさっさと大解散した。
 
だから何だというわけじゃないけど、そのパンくずは確かにハト達のもので、
たまごパンは確かに私のものなのだ、と思ったのでした。
 
おしまい。
 
vol.16 制作・中村一規  2000/10/28 (土) 22:14
 
最近雨が多いです。
雨降りだと稽古場に行くのが、大変です。
 
最近、稽古は「第一次混乱期」から「分析期」に移行しようとしています。
うちの稽古場の練習は、
思ったことは、とりあえず話してみる。
思いついたことは全部試してみる。
気づいたこと、考えたことをみんなで話し合う。という感じで今のところ進んでいます。
うちの団体は、人数が少ないので、意志の疎通は、しやすいのですが、
そのぶん、誰かが悩んでいたり、落ち込んでたりするとみんなにひろがります。
 
だからこそ、心と体の健康に気をつけねば。
うちの団体は、体育会系の運動部と、宗教団体と、出家する山寺の
真ん中くらいに位置しているような感じです。
 
 
vol.17 カネダ淳  2000/10/30 (月) 02:25
 
39番の「演出家」という書き込みについて、先日制作の中村君に
「あれは久野那美への挑戦ですか!?」と聞かれ、
「と、とんでもない、単なる思想です。」
と面食らって僕が答えた、というやりとりがありました。
その後久野さんが「反省してます。」などと言ってきて”あわわわ”な状態
となり、こりゃいかんということで、フォローの書き込みを。
 
あれはですね、「居酒屋での体験」に基づく考察でして、
決して「山羊の階の稽古場」に問題があってとか、そういうことでは全くありません。
むしろ山羊の階稽古場は、僕にとって気持ち良い稽古場BEST3に入る、
創作意欲びんびん(死語か?)湧きまくりの誠に良い環境なのです。
 
どんな感じかといいますと・・・
久野さんはシーンを見た後、何より真っ先に
「○○のときはどんな気持ちなんですか?」「○○を見たときどんな感じでした?」
などと聞いてきます。
役者がつらつらと話すと、右8度に首をかしげながら”ふんふん”と肯き、聞き終わる
バッと両手を下唇のそばに合わせ「そうか、わたしはね、」または「発見したよー!!]
ってな出だしで怒濤のように話し始めます。
で、いつのまにか役者とのディスカッションが始まって、
演ずるためのヒントが一通り出たところでまた再開、となる・・・。
 
実にゆったりとしていいんです。
役者さんによっては、また感じ方が違うとは思うんですが、
僕にとってはかなり創作しやすいペースなんです。
まあ、本番がせまってくればこんなにゆったりともしてられませんが(^_^;)
あと一月半。あっちうまです。頑張ります。
 
 
vol.18 制作・中村一規  2000/10/31 (火) 00:25
 
小学校の時道徳の時間というのがありました。
週に一回、45分間。それが一年間あるのです。
もちろん夏休みや何やかんかがあって毎週あるわけではありませんで、
文部省が定めているところによると一年間で35時間以上
道徳の授業をしないといけないそうです。
 
さて、我らが山羊の階の稽古現場ですが、
今何となく気になって計算してみたら、
もうすでに軽く35時間を越えるくらい稽古しております。
公演の本番までには、小学校の半分。3年分の道徳の時間、稽古をする事になります。
 
こいつは大変なことです。
でも稽古は楽しいし、道徳の時間より(今は)考えさせられることがいっぱいあります。お客さんは稽古場で何が起こっていたのか分からないわけで、
稽古というのは贅沢な時間の過ごし方です。
 
贅沢な時間を凝縮した、1時間ちょっとの本番。
ぜひお越し下さい。
 
 
vol.19 大西智子  2000/11/01 (水) 04:26
 
今回はちゃんと稽古のことを書きます。
 
久野さんは稽古中よく「今どう感じました。」「気持ちよかったですか。」と
質問されます。(私はいつもうまく答えられないのですが。)
久野さんの目にどう見えたかということよりも
役者の感じたことを大切にしてもらっていると思います。
でもそれは久野さんの役者に対する信頼でもあるわけで・・・
 
その気持ちに切実に答えたいと願う今日この頃です。
本番までには。 うん。
 
vol.20 制作・中村一規  2000/11/02 (木) 01:20
 
最近雨が続いております。
 
この「ここはどこかの窓のそと」は秋の終わりのある晴れた日のお話です。
練習と季節がぴったりなので、イメージしやすいです。
よく晴れた日のお話なので、雨の日は練習していて何となく違う感じがします。
雨が振ると変に落ち着いてしまった感じがするのです。
 
今年の秋は機会があったら、よく晴れた日に空を眺めてみてください。
公演がもっと気持ちよくなるかもしれません。
 
本番は晴れますように。
 
 
vol.21 制作・中村一規  2000/11/03 (金) 00:32
 
最近久野さんに聞いた話を書きます。
 
久野さんの戯曲のモットーは出し惜しみをしないことだそうです。
このエピソードを残しておけばもう一本書けるとか、そういうのは一切なく
今のありったけを書こうとするそうです。
 
私が、今書きたいことを全部書いたら、もう表現したいことが
なくなったりするんじゃないですか。ときいたら
 
今回の公演が終わってもし次のをまた書くとしたら、
その間私は確かに生きているから、違う書くべき事が見つかる。といいました。
 
私にとっては、表現者の何か大切なものにふれたような気がしました。
(もしかするとクリエイターにとっては普通のことなのかもしれないけど)
 
そういう目で久野さんを見てみると、なるほど今を生きている気がします。
 
 
vol,22 片桐慎和子  2000/11/06 (月) 02:13
 
大西さんのような人に、私はこれまで会った事がありません。
自由奔放に生きている様に見えるのに、それが全く嫌な感じでは無く、
逆にいい感じを人に与える人です。
それはもしかすると、私なんかが思いもよらない所で、
繊細な気配りをしていらっしゃるからなのかもしれません。
 
今、イチ押しの女性ですね。
 
金田さんは、物事をじっくり考える理論派です。
でありながら、時々ハッとするほど色気のある肉感的な人でもあります。。
今まで何回か、一緒にお芝居をさせて頂いているのですが、まだその正体はつかめません本当は先輩なのに「かねごん」と呼ばせてくれる、気のいいお兄ちゃんでもあります。
 
そんな魅力的なお二人に囲まれ、久野台本を前にして私の頭の中はますます混乱し、
今日も稽古場はぐるぐる回っているのでした。
                          おしまい。
 
 
vol,23 制作・中村一規  2000/11/06 (月) 02:45
 
お芝居の中で「風」という物が結構大切な登場物なのですが、
今日の練習中に、私は、初めて、台詞が、風に乗って飛んできた感じがしました。
言葉でうまく表せないけれど、稽古が始まってから、
こんな感じで台詞を聞けたのは初めてでした。
 
でも、それは今日だけの物になってしまうかもしれないし、稽古に長い時間いるから感じた物かもしれません。
 
その風をいろんな人に感じてもらうことができるように、毎回風を起こせるように、
これからもっとお稽古をするんだろうなと思いました。
 
 
次回のを書いてもらうのは、姉川あらたさんです。
舞台美術をしてくれるスタイリッシュなお姉さんです。
アメリカン・ショートヘアの子猫のような目をしています。
落ち葉舞い散る秋の銀杏並木を颯爽と歩くようにお仕事をしてくれます。
 
 
vol,24 姉川あらた(舞台美術)  2000/11/06 (月) 02:46
 
稽古場へ行きました。
台本を読んだときは、もっと音のない世界を想像していたのですが、
稽古を見てみると、全然違いました。
いろんな種類の音が聞こえてくるような気がします。
高い音、低い音、金属の音、木を叩く音…。響き方もいろいろ。
何でそう思うのかな。
白黒からカラーになって、平面が立体になって、遠くが近くになったような感じ。
これからどうなるのか楽しみです。
 
登場人物と同じ空気を吸うために、台本を読み、稽古場へ行きます。
稽古を見た後。同じ空気を吸うことのできる場所を探して、歩き回ります。
 
はじめて来たのにかつて居たことのあるような場所。
そこに昔たぶん、いろんなものがあった。
もしかしたら部屋だったのかも知れないし、
公園だったのかも知れないし、
誰かが座布団をひいてご飯を食べてたのかも知れないけれど、
今は「図書館の裏」になっている場所で、その日、3人が出会う…。
 
今回はそんな場所を創ろうと思っています。
ご期待下さい。
 
vol,25 制作・中村一規  2000/11/07 (火) 03:09
 
稽古というのは楽しい物です。
 
ときおき稽古中びっくりするほどほてほてとした気分になるときがあります。
 
特に何があるというわけではないんですけど、練習していて
何かがどこかでつながった気がする、何かすごくいいことに気が付いた気がする。
でもその何かが何であるのか分からないし、伝えられない。
伝えられないんだけど、なんか稽古場の中が明るくなった気がする、
この稽古場で、共通する物が増えた気がする。
 
その何かが、よく分からなければ、分からないほど、
ほてほて感が稽古場中に広がっている気がします。
 
あるいは、このほてほて感は私が役者や演出ではなく
見ているから感じているのかもしれない。
みんなは、もっと明確に何かを感じたり、感じていなかったりするのかもしれない。
 
稽古場のそとで知り合いか誰かに「稽古の感じはどうですか?」と聞かれたら
間髪入れずにこう答えるのです。
 
「絶好調です。」
 
vol,26 大西智子  2000/11/08 (水) 02:35
 
今日の稽古は2場の中頃。
 
私は見ている時間が割とあったのでゆっくり見られて楽しかった。
久野さんが指で「GOOD」をしている。
最近あのジェスチャーもあんまり見かけないけど、いいもんですね。
 
なんか、この芝居だんだん好きになりますな〜。
って、決して始めはきらいだったわけじゃないですよ。
 
 
vol.27 制作・中村一規  2000/11/09 (木) 01:46
 
個人的な話ですけど、最近とても体調が悪いです。
 
ここに書いといて何ですけど、体調が悪いと言うことを人に気づかれたり、
心配されるというのはあまりいいことではありません。
無駄な心配をかけるのも嫌だし、たとえば、何かができなかったときに
そのせいにされたりすると、口惜しゅうてなりません。
 
制作という仕事は、その点楽なもので、少々体調や機嫌が悪くてもそれが仕事の内容に
もろにでると言うことは少ないようです。
 
大変なのは役者さんで、しんどかったり、悩んだりしていると、見てる人
(特に共演者、演出家など毎日いる人)には演技の違いとなって伝わってしまいます。
役者は体調管理も仕事、と言われますが、自分の体調のせいで
思い通りの演技ができないのはきっと悔しいでしょう。
 
幸い誰も風邪をひいたりしてはいません。
寒くなりますが体にだけは気をつけてやっております。
明日はお休み。また万全の体調で明後日も稽古に望みましょう。
 
vol.28 制作・中村一規  2000/11/10 (金) 00:42
 
この間、美術の姉川さんが稽古場に来てくれました。
それから、一つまた一つと稽古場に大道具や小道具が増えていきいます。
 
自転車、座布団、木の棒、ドラム缶、本、階段、トイレ・・・
 
一つ増えることに、本番が近づいてきていると言う感じがします。
 
この作品は建物のそとのお話です。
でも稽古しているのは室内で、本番をするのも室内なわけで。
しかし、役者が室外だと思って、お客さんが室外だと思ったら、
それは家のそとなのでしょう。
舞台にドラム缶があります。でもそれは、
私たちが工場や街角で見るドラム缶とは、全く意味合いが違うものかもしれません。
ドラム缶かもしれないし、ドラム缶じゃないのかもしれない。
 
お芝居なんだから、本当じゃないかもしれません。
でも、今起こっているんだから本当かもしれません。
 
全部本当とは言いません。けど全部作り物とは言い切れないわけです。
舞台を構成するすべての物の内で、何がその人の本当になるのかは
人によって違うのでしょう。
だからたくさんのお客さんに来て欲しいなあと思うのです。
 
以上、稽古を見ている人からの宣伝でした。
 
 
vol,29 片桐慎和子  2000/11/12 (日) 01:59
 
ここ2,3日で、だいぶ寒くなってきました。
みなさん体調には気をつけましょう。
 
稽古場にはドラム缶が現れました。
中村君がかついできてくれたのです。 中村くんバンザイ。
ドラム缶はもう、圧倒的な存在感を醸し出しており、見ほれていまいますね。
って役者がこんな事言ってていいのか。 ま、いいや。
ほかにも様々なアイテムが増えてきて楽しいですよ。
ざぶとんとかね。 ストーブも入ったりするし。
 
冬ですねえ。
 
 
vol,30 カネダ淳  2000/11/12 (日) 02:00
 
片桐慎和子はとてもとても不思議な存在である。
まず、見ていて飽きることがない。
何回会っても、何度共演しても、今回のように
ほぼ毎日顔を合わしていても、
毎回この人を「発見」してしまう。
 
稽古場は出入り口が全面ガラス戸になっていて、
先に誰かが稽古場に入っていると、次に来た人は
その人を外から覗くような形になる。
片桐さんは稽古開始よりかなり早めに来て、ちょっとした睡眠を
とっている時があるので、大抵次に着く私はそんな彼女を覗くことが多い。
 
その時、寝転んでる彼女を見て私の気持ちはどうしても、
「お、いるいる・・・今日のカタギリは何をしていたのかな?」
という感じになってしまう。その辺の心境は「今日のダイちゃん」に
似ているかもしれない(スピリッツに連載していた漫画。知る人ぞ知る)。
 
それで本当はもう少しの時間観察してから入りたいところなのだが、
彼女は結構音に敏感なタチのようで、大抵はすぐ気づかれてしまい
「おはようございます」と言って入らざるを得なくなる。惜しい。
 
彼女の瞳もこれまた尋常ではない。
稽古で見つめ合うシーン(ラブシーンではない)などになると、
たとえばジャングルで、見たこともない不思議な獣に出会い立ちつくす生物学教授に
その助手は「博士・・・博士!これ以上は危険です!博士!・・・ワァ!!」と叫び
逃げだすのであるが、彼は魅入られたかのようにその獣を見つめ続け
そいつが獰猛なうなり声をあげつつ近づいてきても
「おまえに喰われるのなら本望だ・・・」とつぶやいている、
そんなドラマを一瞬妄想してしまう。
 
役を食われるとはこういうことか・・・と、つっこみもなく一人ボケを楽しんで
洩れてしまった笑顔に演出がOKをだすのも、彼女あってのことである。
 
そしてその片桐慎和子をして不思議な人と言わしめたのが、大西智子女史である。
彼女については次回。
 
vol,31 制作・中村一規  2000/11/14 (火) 00:59
 
大西さんが今日、しましまのかわいい帽子を持っていました。
大西さんがそれをかぶると、若々しくプリティになります。
 
で、それを片桐さんがかぶってみました。
するとかわいいとかそういうレベルの話ではなく、国籍が違って見えました。
 
カネダさんはそれを見て「馬に乗って、ジーパンを振り回す椎名誠の隣にいそう」と、
言っておりました。
 
そういうカネダさんはかぶりませんでした。
私はその隣で、カネダさんがかぶったら、トルコの何を売っているのか分からない
怪しい露天商の人のようかな、と勝手に妄想をふくらましていました。
 
 
vol,32 制作・中村一規  2000/11/15 (水) 01:20
 
今日は「驚く」練習をいっぱいしました。
 
前にも書いたけど、役者さんは(覚えてる台詞を、初めて言う言葉のように)
(何が起こるか知っているのを、初めて体験するように)するわけです。
でも実は何ヶ月も練習しているわけで。
 
そんな中で難しいのが驚く演技です。
これは不自然です。ものすごく不自然です。
何が起こるか知ってる人がその瞬間初めて体験したと言うリアクションをするのです。
で、それを何度も練習して、自然にしていく。
 
芝居の中の驚くところが、これまた変わった状況でして。
練習はなかなか難航しております。
 
誰が驚くかは秘密です。
一見の価値はある「びっくり」ですよ。
 
 
vol,33 制作・中村一規  2000/11/17 (金) 00:25
 
いよいよ本番まで一月となってしまいました。
あと一月と言われると何だか急に引き締まる思いです。
 
あと一月しかないと思うか、あと一月もあると思うか、それぞれあるとは思いますが。
正直な気持ちとしては、一月もあっちゃうぞ。まだまだいろいろできそうだわ、ドキドキという感じです。
 
今日はお稽古が休みでした。
お休みの次の日は、役者さんの演技がガラッと変わっていたりするので楽しみです。
それでなくても毎回やる度に違うのに。
そりゃあもうびっくりするくらい違うんです。
それが魅力であります。
 
本番も各公演ごとに違う演技になる予感がします。
各公演に質の差はあるけど、完成度の差はないようにしたいですね☆
 
vol,34 制作・中村一規  2000/11/18 (土) 01:50
 
風邪がはやっているそうです。
稽古場でも風邪っぽい人や風邪でお休みする人もでました。
 
そんな中、今日ある役者さんにものすごい演技指導がくだりました。
それは、「でてきた人が、寒い中、外で作業を続けていたので、
     だんだん体が冷えてきて少しずつ鼻声になっていき、
     じりじり体調が悪くなり、最終的には鼻風邪のようになる。」という物です。
何だかものすごいです。これを自然に、しかも説得力のあるようにやりなさいなんて
演出家にいわれたらと思うとぞっとします。
 
稽古場では、とりあえず試してみよう。の段階なので本番でするかはまだ分かりません。
このホームページを見てくれている人の中には役者をする人もいるでしょうけど、
きっと上のような文章を見るととても人ごととは思えますまい。
 
「思い出し笑いを我慢しているんだけど、だんだん我慢できなくなり、ついに吹き出す。 しかしすぐ周りの視線に気づいて笑いを飲み込む。」とか
「何かをするはずだったんだけど、それが何だか思い出せない。
 そのうち頭の中に、おぼろげに何だったかイメージが浮かぶんだけど、
 それを捕まえる直前に消えてしまい、地団駄踏む。」
とか台本に書いてたらどうしましょう。
 
ちなみに今回の台本の第一行には、「象が玉乗りをしている……様な気がする。」
というト書きがありました。
現行の台本では消えていますが。
 
 
vol,35 制作・中村一規  2000/11/18 (土) 01:52
 
「本というのは何をする物ですか?」と聞かれたら、
「読む物です。」と答える人が多いでしょう。
でも、「燃やす物です。」と答えてもそれはぜんぜん間違いじゃないのです。
 
ある人にとって本が、燃やすためだけの物だったとします。
するとその人にとって本の価値というのは、書いてある内容ではなく、
火のつきやすさであったり、火持ちのよさであったりするわけです。
 
その人が、本を読む物として扱う人よりも、本を有効に使っていないかというと、
そうではないわけで。
 
本を読むためだけの物とする人にとっては、読めない言語で書いてある本や、
理解できない本、何も書いていない本なんかは、完全に無意味な物になってしまいます。
しかし本が燃やす物である人には、それらすべての本が意味のある物になります。
その人にとって意味のない本というのは、燃えない本のことです。
 
同様に、本が投げる物である人には、その投げやすさや飛び方が、
本が座る物である人には、座りやすさがその本を判断する基準になるわけです。
 
同じある本によって、ある人は知識を、ある人はぬくもりを、ある人は楽しい運動を
得るかもしれない。そしてその人達は、その事できっとその本を共有したことになる。
そんなコミュニケーションもあるかもしれない。
それは本にとっては、とても幸せな事かもしれない。
 
こんな話を稽古場でしました。
今日いちばん心に残っているお話です。
 
vol,36 片桐慎和子  2000/11/19 (日) 23:02
 
2場の稽古をした。男と女の2人のシーン。
いつもそうなのだけど、1回やるだけで私はヘトヘトになってしまう。
それを何回も連続してやろうと、かねごんは言うし、
久野さんも平気な顔で楽しそうに見ている。
2人とも、なんてタフなのだ。
いや、私が弱っちすぎるのかな。
 
なーんて弱音をはいてしまった。
でもヘトヘトになるのは、決して嫌じゃないんですよ。
 
vol,37 カネダ淳  2000/11/19 (日) 23:04
 
大西さんとの稽古は常にスリリングである。
こちらが予想するような動きはまず絶対にしてこない。
 
僕が長セリフを喋っていてふと横を見ると
小道具のホースを自分の身体にぐるぐるに巻き付けて
至福の表情を浮かべていたりする。
どう対応しようか迷う間もなく彼女は回転してホースを
ほどき、ごにょごにょ何かつぶやきながら次の遊び場へ
移動する。
「聞いとんのかい!」と思った瞬間バッとこちらに顔を
向け、上京してきて故郷を懐かしむ地方武士のような、
せつない瞳でじっと見つめてきたりする。
 
演出はそれに対する僕の反応がリアルでいい、と言う。
”本当に困っている”のが良いというのだ。いいのか、素で。
(「素」とはいわゆる演技していない状態。説明するまでもないですが一応)
 
結論。
片桐さんが不思議な存在とすれば、大西さんは「不可思議」な
魅力を備えた存在、といえよう。
 
[不思議]−その正体や原因・理由について、考えも及ばないこと。
奇怪なこと。
[不可思議]−人間の考えが及ばないこと。想像のつかないこと。
また、怪しく異様なこと。
 
辞書で引いてみると、結構すごいことになっていてびっくり。
 
Re: vol,36 宝塚すみれ  2000/11/20 (月) 00:09
 
> 2場の稽古をした。男と女の2人のシーン。
> いつもそうなのだけど、1回やるだけで私はヘトヘトになってしまう
 
> 2人とも、なんてタフなのだ。
> いや、私が弱っちすぎるのかな。
 
あれだけ集中していれば疲れる方が普通と思います。
それ聞くと片桐さんも人間なのだと安心します。
金田さんは実はウランかラジウムを燃料にして生きて
いるんですよ、きっと。
 
土曜日少しだけ稽古場にお邪魔しましたが、
楽しかったです。
近くで大好きな役者さんが稽古しているのが見られる
のだから。
確かにドラム缶の存在感はスゴイ。
また、お邪魔します。
無責任な様ですが頑張って下さいね。
 
 
vol,38 制作・中村一規  2000/11/22 (水) 02:08
 
喜劇と悲劇は、紙一重だそうです。
よく言われることですが今日それを改めて実感しました。
 
あるシーンの稽古を見ているときのお話です。
 
稽古を見ながらわたしや久野さんはよく、笑ったり、「おおっ」と言ったりしています。笑う場所は毎回違っていて、台詞がおもしろいときもあるし、
表情がおもしろいときもあります。
それによって役者さんが乗って演技ができたり、ツボが分かったするときもあるし、
逆になぜ笑われているのか分からず混乱するときもあります。
でも基本的に、反応があるということは、そこに何かあるということなので、
練習現場としてはいいはずです。
役者さん達は自分たちがどうなっているのか見られないので、悔しがっています。
 
今日の稽古中、私が凄くしみじみとなったところでふと横を見ると
久野さんが笑っておりました。
そのすぐあと私が大笑いしているシーンでは、久野さんは切なげな顔でした。
 
原因は、解釈が違ってたり、見ていたところが違ってたり、価値観が違ったり、
ようは、違う目が見ているから当然なのです。
 
同じ稽古場内でこれだけ違うんだから、お客さんにどう受け取られるかなんて、
分かったもんじゃあありません。
 
それが、恐ろしくも、楽しみでもあります。
 
 
vol,39 制作・中村一規  2000/11/25 (土) 02:56
 
寒い日が続きます。
最近稽古場に暖房器具が入りました。
どうしても寒いときにはつけるようにしております。
 
暖房の欠点は、頭がぼうっとすることです。
特に役者さんは立っているので頭が暖かくなってしまいます。
稽古場の床は板張りで寒いので、これでは、頭寒足熱の逆になってしまいます。
 
板張りの影響かどうか、最近稽古場では、時代劇ばやりです。
詳しくは、また後日。
 
 
vol,40 カネダ淳  2000/11/28 (火) 02:08
 
昨日、久野さんの知人の方が稽古場の見学にいらっしゃいました。
これまでの他の公演でも見学者が来るということはあったので、
稽古前に久野さんから「来るけど、・・・いい?」と聞かれても、「全然いいですよ」と
軽く答えていたのですが、しかし・・・。
 
実際その現場に立つと、もうその方が気になって気になって。
ちょっとうつむいたり退屈そうな様子が横目で見えたりすると「ああ、ごめんなさい」
って感じで、なんというか全然ダメダメなモードに入ってしまい、演技はボロボロ。
不審な目で見つめる演出に『いや、ちとキャラ変えようかなぁとか、ええ、ええ、駄目でした?』
などとごまかしつつ、何とか後半持ち直したのですが、今回この件があって
改めて痛感したことがあります。
 
普段、その集団の身内が見ている時にはあまり意識していないこと。
演技って、恥ずかしい。芝居って恥ずかしいなぁってことです。
おいおい、仮にも役者が何を言うとんねん、とつっこまれそうですが、
これってかなり重要なことだと思うのですよ。
これを意識してるのと意識してないのとでは雲泥の差があると思うのです。
陳腐にいえば(最近稽古場では時代劇と共に「陳腐」という言葉も流行っている)
『あの人演技に酔ってるよねぇ』とか『演技は上手いんだけどさぁ・・・うーん』とか
言われるときでしょうか。
これって上記の意識の差で、悪い方に転がっちゃった、ということだと思うのです。
 
どの演技が良いとか、そんなことは決められるはずもないのですが、
ただ根本に”恥”があってなおかつ(客が)恥ずかしくない演技、芝居ができればいいなあと思います。
表面には見えないけれども、相当の覚悟を以て望んでいる芝居。
これまた陳腐にいいますと、『あれ、演技だよねぇ・・・』とか『あれが素やったら恐いよなぁ』とか
言われるときでしょうか。うーん、陳腐だ。でも”演技してない演技”、究極的ですね。
我々は、そんな瞬間がなるたけ多く見えるよう、日々稽古に励むのでしょう。
 
稽古過程で見学者が来るのは、相当にしんどいけれども大事なことだ、と思ったのでした。
 
 
vol,41 制作・中村一規  2000/11/28 (火) 02:09
 
最近稽古場が時代劇化しておりまして、
 
たとえば、入ってくるシーンで「きびきびと入ってきてください」とダメ出しがあると、武士のように入ってきたり。
了解という意味の「はい」という台詞が、「はっ」になったり。
気づかれないように移動してくださいというと、「それは忍者でしょうか?」と
誰かが聞き返したり。
座布団の上で正座して空を見上げて、「いい天気ですねえ」と言ったりしております。
 
それ以外にも、何となく役者さんに力が入っていたり、
表情が硬く眉間にしわが寄っていたり、
稽古の休憩時間に飲むものが、ジュースやコーヒーから玄米茶に変わったりしているのも時代劇化の影響です。
 
そのうち、誰かが髷を結ってきたり、知らない間に衣装に日本刀が付いていたりしたら、本格的に対抗策を考えねばいけません。
 
まだそこまで言ってないので、きっと大丈夫です。
 
   (当公演は時代劇ではありません)
 
vol,42 大西智子  2000/11/28 (火) 02:10
 
本番が一歩一歩近付いてくる 。のしのし。
稽古場の空気は穏やかだ。
近所の子供も役者の一員かのようになじんでいる。
 
しかぁーし!私の心は小鳩のように震えている、かもしれない。
自分のおでこにスイッチがあって、芝居するときポチッと押して、
はいっニュートラルになれたらいいのに。
いやいや久野さんいわく「まだ二週間もある」からね、
うんうん希望の星を見よう☆
 
vol,43 制作・中村一規  2000/11/28 (火) 02:12
 
今日稽古場で、みかんを食べました。
 
私がみかんのふさの周りの白い筋をどけていると、
「いちいちそんなの取ってから食べるなんて、細かいわねぇ」と馬鹿にされました。
 
「中村君は、プッチンプリンはお皿にプッチンしてから食べる人ですか?」
と聞かれたので、「はい」と答えると、みんなは
「こんな細かい人は相手にできないわ」という顔で私を見ました。
 
「プッチンプリンはプッチンしてから食べるようにできているではないか。
 たかがプッチンするだけで、少し幸せになるのなら、それでいいではないのか。
 だいたいプッチンしないとそこのカラメルが楽しめないではないか。
 あんたがたは、あのカラメルについてどう思っているのだ。」
と私は猛烈に抗議したのですが、その事に対するみなさんの反応は次の通りです。
 
カネダ「めんどくさいからそのまま食う。」
片桐「誰かが用意して片付けもしてくれるならうれしいけど、自分ではしない。」
久野「そんなこと思いもしなかったし、だいたい私はプッチンできない。」
大西「カラメルごと最初にぐちゃぐちゃに混ぜて食べるから、関係ない。」
                 
挙げ句の果てに「そんな細かいこと言ってるから、女の子に嫌われるんだ。」
といわれる始末です。
 
私は間違っているのでしょうか。
 
vol,44 片桐慎和子  2000/12/03 (日) 23:58
 
今まで演技だと思っていたことが演技でなく、
演技ではないと思っていたことが演技だったりします。
 
山羊の階の稽古場は、本当に常識をくつがえされる場所です。
かたくなな私にとって、それはとても苦しい。
今は苦しい最中なので、そして私は意外に、そういうのが顔に出てしまうので、
周りの人は私が不機嫌だと思っているかもしれません。
でも心の底のそこの方では、どこかワクワクしているのです。
 
演劇を見慣れている人にとっても、演劇を初めて見る人にとっても、
見応えのある舞台ができるはずだ、と思っています。
 
vol,45 制作・中村一規  2000/12/03 (日) 23:59
 
いよいよ本番まで2週間を切ってしまいました。
稽古場では確実に本番に向かって、いろいろな物事が進んでおります。
 
稽古に音(効果音)が入ったり、小道具が増えたり、衣装が決まったり。
役者さん達が、ついこの間まで、「あと〇日もありますから」と言っていたのが、
「あとX日しか無いのかあ」と言うようになりました。
 
最近の稽古の主役は何と言ってもみかんです。
みかんは、その圧倒的な存在感をもって、稽古場をわがもの顔で転がっており。
オレンジ色のかわいい共演者としてみんなに可愛がられております。
(投げられたり、転がされたり、食べられたり)
 
私は、みかんという果物には、大変好感を持っているわけです。
やつらは、剥くのに道具はいらないし、汚れた手でも食べられるし、
何より見た目がかわいいです。
その仲間のブンタンやポンカンやオレンジ達もごひいきにしており、
できれば、これからもいいお友達でありたいと思っています。
 
私の知り合いにみかんの食べ過ぎで、目の白いとこが真っ黄色になって病院に担ぎ込まれお医者さんから、みかんのドクターストップを受けた人がいます。
 
食べ過ぎにはくれぐれも注意しましょう。
 
vol,46 制作・中村一規  2000/12/05 (火) 01:32
 
今日は、一人お客様が見学にいらしていました。
稽古場に人が来るというのは、前にカネダさんが書かれていましたが、緊張する物です。やはりその人の反応というのが、非常に気になります。
 
その人は、私たちが、越後屋の話をしていても笑わないし、
(時代劇は見ないのかもしれない。)
大西さんが、みかんを頭の上に載せて歩いていても表情一つ変えません。
(見慣れているのかもしれない、その人もそうするのかもしれない)
 
気の弱い私は、楽しんでくれているのかが気になって、気になって、
役者さんは自分の演技や作品が、どう思われるのかが気になるようですが、
私は私で、「寒くないだろうか、さっき出したお茶の温度は、気に入ってもらえたのだろうか、見るのは、あの角度でいいのだろうか、紅茶の方がよかったのだろうか。」と
いろいろと気になるのです。
帰りは帰りで、「ちゃんと家につけたのだろうか、今日ので、本番来てくれなくなったりしないだろうか。」と心配なのです。
 
家に帰るまでが稽古場見学だから、途中で痴漢とかにあったら私のせいなのだろうかと、訳の分からない心配までしてしまいます。
 
しかしそれでも、稽古場を見学してもらうというのはうれしいのです。
人に見せる物では無いのですが、私たちの何かが、その人を
稽古場に足を運んでもらえるくらい引きつけたというのはいい感じです。
 
貴重な体験をさせてもらいました。
 
 
vol,47 制作・中村一規  2000/12/06 (水) 01:41
 
今日は、初の通し練習をしました。
 
衣装、音響など、今稽古場にそろっている物が初めて舞台に勢揃いしました。
特に音響は、今日からお目見えした、効果音や音楽が多く、
稽古を見ながら、ニヤリとしていました。
 
私は音響効果の中でも、BGMではなく効果音がとても気になります。
「音響効果大全」みたいなCDがありまして、その中には、ドアの開く音とか、
蒸気機関車が通り過ぎていく音とか、楽しそうなのがいっぱい詰まっているのです。
 
その中にもイメージしやすい音とそうでないのがあります。
私の場合、飛行機や電車など乗り物関係の物は比較的イメージがしやすいです。
逆に難しいのは、工場や町の雑踏などで、聞いていても、何を造っている工場なのか、
どんな町なのか、全く想像がわきません。
そのほかに、想像しやすいが故に気持ち悪いのが、物を咀嚼する音です。
 
と、ここまで書いてなんですが、今回の芝居はあまり音が多いわけではありません。
そのぶん、イメージを浮くらませそうな音がそろっておりますのでご期待を。
 
vol,48 カネダ淳  2000/12/07 (木) 02:12
 
あやや、もう12月、本番まで10日あまりになってしまいました。
ようやく、ああ、この作品をお客さんが見るのだなあ、という
実感が湧いてきました。
それは、ああ、これは見せられないぞ、本番までに何とかせにゃ!
という実感でもあります。
 
最近、稽古終わりにいつも演出が言います。
「ああ、希望の光がみえてきました!」
しかしこのセリフはここ5日ばかり続いております。
はじめはホッとしたこのセリフも、今では
「まだまだですよ」
というダメ出しに聞こえてくるから不思議です。
 
通し稽古になって、「音」という新たな役者が入ってきました。
これから「ホール」「舞台装置」「照明」「客」とからんで、
やっと本番ができます。
思えば、彼らと対等に演技を張れるよう、2ヶ月という
長い期間、稽古をしてきたのかもしれません。
 
わくわくします。
ほんとうに楽しくなるのはこれからです。
あと10日あまり。
やり抜きます。
 
vol,49 大西智子  2000/12/07 (木) 02:13
 
なぜ私は老人化するのか?
 
最近、よく久野さんから「大西さんおばあちゃんになってましたよ」とダメ出しを受ける「そんなっ、あんまりよっ」と思っても、周りの人々も「うんうん」と
納得しているので、どうも的確なダメ出しらしい。
 
それは決して、私に一気に白髪が増え、顔がしわくちゃになるという
SF的なことではない。
なぜに私は、おばあちゃんになってしまうのか? 真剣に考えねばなるまい。
 
確かに私の外見にはおばあちゃんになる要素はある。(それも問題だが)
しかし原因はおそらく内的なものだ。
 
私の演じるエプロンの女はやや精神年齢の低そうなおばさんである。
ゆえに演じていると幼女化しているようなところも多分にある。
幼女と老女 その間には深くて暗い川が流れているようにも思えるが、
実は表裏のような近い関係かもしれない。
 
んー 危ない橋を渡っているような気がしてきた。
どうしましょ?
子供にあって老人にはないもの、
うん その辺がポイントかも、
ではこれより考え中……
 
103. おばあちゃん 宝塚すみれ  2000/12/08 (金) 00:12
 
確かに大西さんはしばしば『おばあちゃん』化する。
大西さんはいたずらっ子の様であり、『おばあちゃん』
の様でもある。
とてもとても楽しそうで『いじわるばあさん』の様に
まるでキャラクターかなんかみたいだ。
きっと台詞回しの特有の癖が濃く出たときに特に『おば
あちゃん』化しているように見える。
しかし、とにかく楽しそうなんだもん、1人で遊んでいる
んだもん。
 
 
vol,50 中村一規  2000/12/09 (土) 01:51
 
今日久野さんが、「初めてジュゴンを見たときのような感じだった」と
稽古を見ていた感想をいいました。
 
通し稽古を1回して以来、みなさんそれぞれ思うものがあったのでしょう、
稽古場は、残された時間をどうすればいいのか、と完全に混乱しております。
いろいろなバリエーションの演技をもう一度試している中で、
上のジュゴン発言が出たのですが、これはとてもいいことではないのかと私は思うのです
今、自分の子供の頃を思い出して見ると。
ものすごい感動があったはずなのに、思い出せないことがあります。
初めて何かをしたときのこと。初めて飛行機に乗ったり、初めて海を見たり、
初めて水族館に行ったり、初めてジュゴンをみたり、した時のこと。
きっと凄い凄い感動だったはずなのに……
口惜しいですなあ。
 
今回の公演は、たくさんお芝居を見たことのある人にとっては、
「陸上の動物しか見たことの無かった人が、初めてジュゴンを見たときのような」感動を初めてお芝居を見る人にとっては、
「人が、初めて海を見るような」感動を与えることができればと思っております。
 
本番まで1週間をすぎましたが、まだまだ進化を続ける山羊の階なわけです。
 
vol,51 中村一規  2000/12/10 (日) 02:18
 
今日の稽古は何となくよかったです。
 
「何となく」というのはあまり良くないのかもしれないです。
「何で私とつき合いたいの?」と聞かれて、「何となく」と答えるといけない気がします「何で殺したんだ」と聞かれた犯人が、「何となく」と言うとマスコミは困ります。
 
でも、理由とか動機とかが必要なのは、その当事者ではなく、その周りの人なわけで。
本人の中での理由はあまねく「何となく」だったりするのです。
人に何かを説明しようとするときに出す言葉は本人にとっては、
あきらめて手放した嘘。だったりするわけです。
 
なぜこんな事をグダグダと書いているのかというと。
今日の稽古が何となく良かったからです。
なぜかは私には分かりません。
 
vol,52 中村一規  2000/12/11 (月) 01:10
 
今日の稽古の終わりに少し稽古場の掃除をしてみました。
 
思えばこの稽古場を使い出してもう2ヶ月になります。
運のいいことに稽古場を転々とすることなく、ずっとこの稽古場を
使わせていただいております。
2ヶ月も通っていると、私らもその周辺に詳しくなってきて、
やれ、どこどこのパンがおいしいだの、あそこのクレープがおいしいだの
みんなで情報交換をして稽古場ライフを楽しんでおります。
 
そんな生活もあと数日です。
まだ、食べてみたい気になるパンが残っているし、古本屋も近くに見つけたから、
寄りたいのにとてもいけそうもありません。
 
私の目から見て、一番楽しんでいたのは片桐さんです。
稽古の度に、来る途中で買ったパンをむさぼっておりました。
そこのパン屋がおいしいんです。うちの稽古場は、みんなそこのパンの虜です。
 
本番までに、心残りの無いよう明日はパンを山ほど食べようと思います。
 
vol,53 カネダ淳  2000/12/13 (水) 13:37
 
最近、大西さんが絶好調です。
一時たりとも彼女が動いてない時はありません。
 
僕と片桐さんのシーンで
演出のダメだしを聞きながらフと彼女を見ると
真剣に太極拳の型をやってたりします。
 
ある時は「青い山脈」の歌を唄いながら
「あれ?あれ?」と歌詞を確認してたりします。
 
ある時は腰をおとしてガニ股になり、
足首の動きだけで前に進んだりしています。
 
ある時は両手をのばしてひらひらさせながら、
そろりそろりと宇宙遊泳をしてたりします。
 
ある時は本を頭の上に乗せ、「むむむ」と言いながら
ハンドパワーを使っていたりします。
 
休憩中、ベタな(オヤジちっくな)ボケをして場を
凍らせると、自ら身体を張ってつっこみ、
場をなごませたりします。
 
演出が「忍者みたいな感じで」とか「武士で」とか
「くのいちみたいな感じで」とか
注文すると、おもわず衣裳を想像してしまうくらい
本当にその通りやってくれるので、
最近は演出も言葉を選んでいるようです。
 
「舞台に子供と動物がでてくると、全部そっちに
お客さんをもっていかれる」という格言がありますが、
今度の舞台はそれに当てはまるところがあるかもしれません。
 
舞台で自由奔放に遊ぶ彼女を、是非見に来てください。
 
vol,54 大西智子  2000/12/13 (水) 14:04
 
少々前のことですが、11月30日のことを書きます。
 
このお芝居「ここはどこかの窓のそと」は11月30日に起こった話なのですが。
今年の11月30日、私は会社で仕事をしながらなにやらそわそわしていました。
ちらちらと時計を見、「んっ、いやまてたしかこの時計は2分進んでいたな」
などと考えながら窓のそとをちらちら見ていました。
 
11月30日の空をどうやってみるのか、でもって他の山羊の階のメンバーも
どこかで空を見上げているのに違いない。そう思うと、
「まあ どうしましょ どうしましょ」という気分でドキドキしていたのです。
 
仕事中に外へ出て曇り空を見上げて「ほー」とした顔をしていた私を、
職場の人がどう思ったのかは分かりませんが、そんな気持ちで空を見上げることができただけでもこの芝居に参加できて良かったなと思いました。
 
しかし本番は12月で、当然11月30日は終わっているのですが、
始まりがあって終わりがあるということ、終わることをちゃんと見つめるということ。
 
見に来てくれた人が、そんな瞬間を感じてくれたらすごくうれしいなと思います。
 
 
次の稽古で、「空曇ってましたね」と言ったら
「姫路は曇ってたんだ、大阪は晴れてたよ」と言われてしまった。
いいよ別に
 
vol,55 中村一規  2000/12/14 (木) 02:30
 
本番まで、わずかとなってしまいました。
 
稽古場に来るのは今日でおしまい、明日からは劇場に入って仕込みをします。
そのために今日は、稽古場に車が来てくれて、運ぶものを全部詰め込みました。
 
ドラム缶、座布団、落ち葉などの舞台美術や、パンフレット、CDなどを始め、
炊き出しの材料や炊飯器、包丁など次々にいろいろな物が詰め込まれます。
ピクニック気分で楽しかったのもありますが、それと同時に少しさみしくもありました。
トラックや車でたくさんの物が劇場に運ばれます。
その中にはお客さんの目に直接触れる物もあるし、そうでない物もある、
もしかしたら全く使われない物もあるかもしれません。
 
それでも、物は運ばれていきました。
稽古場にあったはずの、物でない物はそこに置いてけぼりなわけです。
さようなら稽古場(と、その近くのパン屋さん) 結構親密になれたのに。
 
稽古場に置いてきぼりにしたやつは、それが次の人に受け継がれる訳ではなさそうです。するとエネルギー保存の法則というのに乗っ取ると、置いてくるわけにもいかないわけでとなると、きっとそれは我々の中に吸収されているはずだ。
 
さようなら稽古場君、そしてありがとう。
あとのことは私たちに任せなさい。きっと悪い事にはしませんから。
 
vol.55 久野那美  2000/12/15 (金) 02:54
 
昨日で稽古が終わりましたので、稽古場日記は終了致しました。
そういうわけで今日は劇場日記です。
 
舞台ができあがりました。図書館です。
2階には窓がついています。日当たりが悪いのですが、地面に素敵な影ができています。向かいがわに高架の線路があって、電車が何台も通り過ぎていきます。
駅が近くにあるのですが、各駅停車しか止まらないからです。ドラム缶からは煙があがっています。
ときどき飛行機の音が聞こえます。
 
都住創センターなのですが、もうすっかり、ものすごく図書館です。みたらびっくりします。わたしたちはどきどきしています。
 
明日からここで、小さなお芝居が始まります。
皆様、お誘い合わせの上、ぜひぜひお越し下さいませ。お待ちしています。
 
vol,56 中村一規  2000/12/16 (土) 02:04
 
ついに今日本番を迎えることができました。
ご来場の皆様ありがとうございます。
 
土、日とあと4回公演があります。
あと4段階も成長する事ができるのかと思うと、なかなか複雑です。
 
稽古の度に役者のみなさんは本当に、全く違う演技をします。
その度に違う驚きや発見があるわけです。
できればお客さんにその違うのをすべて見て欲しいのです。
が、そうも行かないわけで、お客さんはほとんどは1回しかこないので、
 
後4回公演があると言うよりは、後4種類の公演があるというイメージです。
 
来てくれるお客さんが自分の好みの公演の日に当たりますように。



エピローグ(公演の後の声)


中村一規  
 
おかげさまで、山羊の階公演「ここはどこかの窓のそと」は無事終了しました。
お手伝いをしてくださった多くの方々、そしてたくさんのご来場者のみなさん
大変ありがとうございました。
 
公演は終わりましたが、まだもう少しの間このホームページは開いています。
公演の感想や、ご意見、ご質問などありましたら、書き込んでください。
公演が終わってしまったからこそ、話せることもあるのです。
 
役者、関係者などの、この公演を終えての最終的な感想も近々掲載する予定です。
ご期待下さい。
 
なお、残念ながら本番に来られなかったお客さんのために、公演台本の通信販売を行うことにしました。メールで注文いただければ、郵送いたします。
詳しい方法、値段は近いうちに掲載します。
 
映像をお待ちの方々へ 北村   2001/01/03 (水) 04:45
 
映像記録担当の北村です。
公演も終わり、舞台を想像していたイメージは
記憶にとってかわりました。
イメージはだんだん色濃くなりますが
記憶はだんだん淡くなっていくものです。
見た人も、見られなかった人も
あの舞台の映像をみたいと思います。
もうすぐ、このページに映像を載せてもらいますね。
待っててください。
 
書き込みをして下さっている皆様ありがとうございます。
公演が終わった後、見てもらったお客さんから直にご意見を頂くと言う機会は、
実はほとんどありません。
感想を書いていただくのは、実にうれしく、またいろいろなことにも気づかされ、
勉強になります。
 
 
感想です 盛野 ミヤオ  2001/01/16 (火) 10:22
 
1ヶ月以上経ってしまいましたが、ようやく感想です!!
久野さんの台本があんな風になるとは、っていうのが本番を見た正直な感想。
役者サンがなんか、すごかったです。
前回の船も見させていただきましたが、とくに金田さんのさりげなさがとても素敵でした。すごく、くたびれた男がカッコ良かった。
そのくたびれた(つかれた感じ)と好対照にテンションの高い大西サンに衝撃・・・。静の台本に動の部分を造ってる感じが良かったです。
すごくかわいかった。
あと、片桐さん。何気ない表情やさりげないしぐさが、なんか、意地らしく思えました。
何度も思い返すたびに、解釈が変わって行く。そんなおはな市だと思います。
美術もびっくり!あそこををあんな風に使えるとは・・・
すごかったです。2階の壁(笑)
また、みなさんの活躍を期待しています。
お疲れ様でした。
 
はじめまして くらげ  2001/01/16 (火) 03:12
 
はじめて書き込みします。くらげといいます。
当日見に行けなかったので、写真がとても楽しみです。
 
 
 
うどん…。 久野那美  2000/12/25 (月) 03:56
 
稽古三昧の日々から一転して。ただ冬なだけの毎日。
山羊の階のひとたちは早速次の公演の準備や稽古にいそしんでいます…が、私は予定がないので散らかり放題に散らかった部屋の掃除をしています。
山羊の階の企画をたてたのが去年の1月。もう1年。
片づけてるといろんなものがでてきます。
 
でもあれだけがどうしても出てこない。
本番の炊き出しのために買ったうどん15玉。
どこへ行ったんだろう。
私はすぐものをなくすので、公演中、失くすと困るものは制作の中村くんに保管してもらってたのですが、さすがにうどんの管理までやってくれとは言えず…。本番中いちばん暇な私が買い出しと冷蔵庫の管理をしてた…のが間違いでした。
部屋中さがしたけど出てこない。
どこいったんだろう?うどん…。
 
山羊の階のみなさん、ごめんなさい。
2日目の昼御飯はほんとうはおうどんのはずでした。
買い出しに走ってくれたマリーさんも、ごめんなさい。
 
追伸
大西さんの前説テープ…。
全く前説だと思ってなかったひとが多かったみたいです。私と大西さんの勝利!?…それじゃ意味ないか。
 
 
そう、ページは残した方がいいよ! みのべなおこ [URL]  2000/12/19 (火) 23:35
 
皆さん、お疲れ様。素敵な芝居をありがとう。
 
落ち葉の音・匂い 
時折煙るドラム缶の音・匂い
空気の音・匂い
投げられたオレンジの軌跡と共に体中に染み込んでる。
なびく風が確かにそこにあって、電車が優しく止まる。
そう必ず止まって、又、必ず動き出す。
 
全てをオシマイニなんかしなくていいんだよ。
だってそんな事、できっこないんだから♪
風が吹き、風が流れ、風が包み、たとえ風が遠ざかっても、
その軌跡は身体に、心に、残るんだ☆
そしてまた、風はやってくる。
 
‘ここはどこかの窓の外’
確固たる<響き>を受け取りました。
そしてこの<命>は生きている限り続くんです。
いろんな形となって、いろんな空気になって、いろんな感覚になって、
繰り返し取り込まれては、繰り返し流れ出ます。
でも同じにはならないメビウスだから、それでいいんだと思います。
 
おつかれさまでした。 亜弓  2000/12/19 (火) 12:56
 
普通の時間に戻っちゃいましたねぇ...
このたび、音楽&効果音をならす役でお世話になりました。
芝居の音は、高校の演劇部以来3年ぶりだったので、なつかしいのと
得体の知れない何かにドキドキしていた毎公演でした。
 
今まで、ミュージシャンのライブや講演会の音しか携わったことがなかったので、こういう芝居の音に携われたのは、うれしかったし、良いことだったと思います。
 
みなさん、体に気をつけて元気でいてくださいね〜
 
また、会いにいきますよ
 
 
ありがとうございました さかな家 [URL]  2000/12/19 (火) 00:54
 
公演に携わられた皆さま、お疲れさまでした。
最終回、雨がひどく降ったので、急いで帰ってしまいました。
そそくさとしてしまって、すみません。
 
ことばの美しい並びと美しい響きのある台詞のお芝居を
見られたと思いました。
昔に、「ミルク」を見せていただいたことがあり、
そのときもそんな風に感じた記憶があります。
芝居は力技とも申しますが、繊細さを知ってこその力技。
力技・・・な作品にも少し期待。ナンノ階ニナルノダロウ?
きれいなきれいなことばたち。
舞台も音楽も照明もとてもきれいでした。
 
追伸、葛西さん、お元気そうでなによりです。
   ご挨拶しそこねてしまいました。すみません。
 
 
.私信と感想です。 岡本武士 [URL]  2000/12/17 (日) 23:54
 
お芝居を見に行くの、久しぶりだったのでちょっと緊張してしまった。
(遅れてしまったせいもあるかも)
お久しぶりです。
多分一番最初見逃してしまったと思う。
台本に書かれている冒頭の語りみたいなのを聞いていないので、残念。
 
楽しく見させていただきました。
女の子の役柄がやけにカタイのはわざとだろうけど
男の子がその意味で日常的なのはどうしてだろうって考えています。
台本を読んで思いついたら何かかくね。
 
この前は行けなくて残念でした。
よかったら、台本読ませてください。
 
では。
お疲れ様でしたー。
公演お疲れ様でした。 ひとみ [URL]  2000/12/17 (日) 22:22
 
昨日(16日)の夜、公演を観させていただきました。
仕事が終わって滋賀県より直行したのですが、案の定天満の道に迷い
会場にギリギリに飛び込んでしまいました。
チケットを受け取り、中に入ると、敷き詰められた落ち葉と真ん中の
ドラム缶、そして既存のトイレまで舞台のセットとして存在している
状況に、「私は、どこへ迷い込んだのだろう…?」という気持ちになり
ました。確かにそこは、図書館の裏でした。
芝居の内容的にも、とても私好みのタイプだったので、自然と入り
込むことができました。
帰り道、ついさっき観た芝居の台詞の一部、物語の一部が、心地よい
リズムを持って、心に響いていました。
そして、買ってきた台本を手に取ると、今さっき観た芝居なのに、
そのレンガ色の表紙の本は、初めて出逢う物語のような気がして、
どきどきしました。
私も、そんな心地よいリズムを持った作品を創りたい…そう思いまし
た。
宝塚すみれさま。話しかけてくださってありがとうございました。
 
ところで、このサイトはいつまで開いているのでしょうか。
いままで毎日のように覗いていたので、なくなってしまうとなると
寂しくなります。でも、始まりがあれば終わりもあり、終わりが
あるから始まりがあるのだとすれば、仕方ないですね。
 
お芝居の感想、もう少ししたら私のHPにアップしようと思います。
前に観たお芝居の感想をまとめるのに時間がかかっているので、少し
遅くなるかもしれませんが。もしよかったら、いらっしゃって下さい。
 
では、ながながとすみませんでした。
お疲れ様でした。
 
 
いけない〜 おかだ  2000/12/16 (土) 19:29
 
今日の公演はどうでしたか?
中村さんが言うように、毎回の公演を
観れたら面白いでしょうね。ライブだからいつも違う。
 
私は今回観にいけないです。安いし、京都だし、
行きたかった。超行きたかった。
 
ストーリーも気になってるし。
どんな話か知りたいけど、観にいくしか
方法はないのでしょうか。
 
またここに観に来るので、感想とか、
たくさん書き込みがあることを願っています。